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前回の記事
>>考える人

ロダンと別れたあとのカミーユは徐々に心を病んでゆき、精神病院に収容されてしまいます。結局彼女は1943年に没するまで入院したきりで、母と妹以外に訪れる人もなくその哀れな生涯を閉じました。

一方、カミーユを捨てたロダンにも試練が続きます。
製作依頼を受けて8年。美術館の建設計画が撤回され、ロダンのもとに「地獄の門」の製作中止命令が届きます。しかしロダンは自ら作りかけの作品を買い取り、憑かれたように彫り続けます。

そして製作中止令の翌年。ロダンは未完の「地獄の門」の一部を作品として発表します。それが現在の「考える人」です。地獄の入り口を覗き込むようにして佇む男の像は、当初「詩想を練るダンテ」という名前でした。しかし発表する段階になって「詩人」と名づけられます。
考える人

その像が誰を表しているのかははっきりしていません。原題が「神曲」なので、思索にふけるその姿はダンテを示している、と考えるのが妥当かもしれません。

一方で「考える人」はロダン自身を表しているという説もあります。地獄の門に刻まれている銘文には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」 とあります。
像の男は地獄の中を覗き込み、苦悩し、過去から責められているように見えます。彼はかつての自分の行いに対して取り返しのつかない深い絶望を感じているようです。そしてそれは、ロダン自身が絶望に身をよじり、いまや許しを請うことも出来なくなったカミーユに対する良心の呵責に苛まれている様を表しているのではないでしょうか。それでもまだ全ての希望を捨てるわけにはいかない、人間としての哀しさも同時に体現しているように感じます。

ロダンにとってカミーユと過ごした数年間は特別なものだったようです。その作品にはそれまで無かった色気が漂い、いきいきとした表現も見られます。

彼の芸術界における最大の業績は、アサンブラージュトルソを実験的に取り入れたことにあるといわれています。

アサンブラージュはフランス語で「寄せ集め」という意味で、彫刻同士を組み合わせて1つの彫刻として完成させる手法です。「考える人」をパーツの1つとする「地獄の門」もアサンブラージュに拠っています。

トルソはイタリア語で「胴体」という意味で、手足や首などが欠けた状態で完成品とする作品のことです。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケなど、完全でないからこそ観る者の想像力をかきたてる作品のことを言います。

このトルソを取り入れて作られた「ラ・パンセ」という作品があります。
助手であるカミーユをモデルとし、大理石の塊に頭部のみを掘り出したものです。当初は首から下も作られる予定でしたが、ロダンは作りかけの状態に魅了され、未完のままで製作を中止しました。
La Panse
ラ・パンセ

ロダンはかつてこう述べています。
「美しいものより美しいのは、美しいものが荒廃した姿である」

うつむき加減に物憂げな表情を浮かべる「ラ・パンセ」からは、カミーユの将来に対するやり場のない不安、ロダンとの関係の悩みなどが伺えます。
暗い未来を表す白い石膏彫刻は、「荒廃の美」を表しているようです。

ロダンの最期の言葉は「パリに残した、若い方の妻に逢いたい」だったそうです。なぜそこまで想っていながら、カミーユを愛してあげられなかったのか。残念でなりません。

現在広く知られている「考える人」という名前は、この像を鋳造したリュディエという人物がつけたものと言われています。ロダン自身が名付けるなら、果たして当初の「詩人」のままで通したでしょうか。
今となっては知りようのないことですが、その製作の裏には生々しい人間関係が横たわっています。


追記:結局「地獄の門」は未完のままで終わりました。こちらも残念。なお計画にあった美術館の予定地には、現在のオルセー美術館が建っています。

追記:カミーユ=クローデルとZガンダムの主人公カミーユ=ビダンの末期って似てるように思います。苗字もロダンをもじったような感じです。Zのカミーユは女性のような名前にコンプレックスを抱いていたようですが、ガンダムの作品には他にもアナベル=ガトーやザビーネ=シャルなどの女性名の男性エースパイロットが登場します。

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関連項目:
>>ガンダム00
>>A10神経
>>世界最長の楽曲
>>だまし絵
>>心の理論
>>共感覚
>>風で動くアート
>>インドの魔術師
>>芸術の価値
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有名な彫刻、というと何が思い浮かびますか?

ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、ネフェルティティの胸像...etc
世界には素晴らしい芸術作品がたくさんあります。

中でも、「ダヴィデ像」と「考える人」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

前者はミケランジェロ、後者はロダンの作品です。
日本人の彫刻に対するイメージの源泉はこの2人にある、といわれるほど後世に多大な影響を残した人物です。今日はこのうちロダンについてお話したいと思います。

フランスワ・オーギュスト・ロダンは「近代彫刻の父」と呼ばれています。代表作は「地獄の門」(とその一部を構成する「考える人」)、「カレーの市民のモニュメント」などです。

彼の能力を示すエピソードとして、彫刻「青銅時代」にまつわる話があります。
この作品は1875年に発表されたオーギュスト・ネイトという若い兵士をモデルにした等身大の像で、ミケランジェロの作品の影響を受けて作られました。しかしそのあまりの緻密さとリアルな造形のため、「実際の人間から型を取って作ったのでは」という誤解を受け、非難されました。
腹を立てたロダンは2年後にわざわざ人間よりもかなり大きなサイズの人型彫刻を作製します。こうしてロダンは誤解を解き、彼の名前はフランス中に広まることになりました。
「青銅時代 The Age of Bronze」


ロダンとその作品に関する話として重要なのが、「地獄の門」の製作過程とカミーユとの生活です。

1880年、ロダンのもとに国立美術館のモニュメント製作依頼が届きます。そのテーマとしてロダンが選んだのが、ダンテの「神曲」地獄篇に登場する「地獄の門」でした。

地獄篇第3歌にはこの門に刻まれている有名な銘文が登場します。

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」

地獄の入り口にふさわしい、人間の深い絶望を表しています。

この大作にとりかかるにあたって、ロダンは数多くのデッサンを重ねます。しかし中々構想をまとめられないままでいました。

製作の苦悩が続く中、1882年にロダンの下に弟子としてカミーユ・クローデルが入門します。ロダンは彼女の才能と魅力に取り付かれ、妻に当たる女性(正確には事実婚)がいるにもかかわらず、カミーユを愛するようになります。このときロダン42歳、カミーユ18歳です。

しかしカミーユとの関係もやがて破局を迎えます。
当時は女性が芸術家として評価されることは少なく、世の中に認められていくロダンに対してカミーユは憎しみにも似た感情を抱くようになります。何よりもロダン自身が優柔不断で、最終的にはカミーユを捨てて妻ローズのもとに帰っていきます。

続き
>>考える人 2

参照:カミーユの彫刻に関する技術はロダン以上だったとされています。
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