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だまし絵 [6]   主観的輪郭


だまし絵1
立方体があるように見えます。


optical-illusions06.jpg


optical-illusions05.jpg


optical-illusions04.jpg


optical-illusions01.jpg


optical-illusions03.jpg



だまし絵20
(1)中央の4つの点を30秒間見つめます
(2)天井を見上げて瞬きをします


欠けた図形
欠けた図形
答え:
動画の説明
http://g002.garon.jp/gdb/G-/1W/0V/2S/gV/aW/8K/cS/cz/pE/aC/y2V3.gif
図解の説明
http://fout.garon.jp/?key=GG2-kMgDoEeTSY9H5B3Z4Se:_0M0&ext=jpg&act=view



だまし絵  [1] [2] [3] [4] [5] [6]


関連項目:
>>モンティ・ホール問題
>>1=2の証明
>>ヘンペルのカラス
>>ゴールデンラズベリー賞
>>ピーターラビット
>>プチプチをつぶす心理
>>バター猫のパラドックス
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「経済学的な手法で神様の存在証明」

中世に行われた神の存在証明のひとつ
(1)神は全能である
(2)全能であることは存在することが出来るということも含む
(3)よって神は存在する

論理学的には完璧としか言いようがない、美しい三段論法です。
ただしこの3行の文章で全ての人が神の存在を信じ、その威光の前に平伏す事になるわけではありません。大前提の部分(1)が論証不可能な命題となっているためです。

全能とはそのまま、「全てを能う」ということです。
この言葉を扱うにあたってはいくつかの問題が生じます。

第一に、神を全能とすることが正しいのかどうか。

「全能である存在を神と呼ぶのです」という声が聞こえてきそうですが、それではただの循環論法です。全能だから神、神だから全能、全能なら存在可能、よって神は存在する。Q.E.D。
神が悪を許し給うのは、その悪から善を導き出すほどに全能だからである」と述べたのは確か聖アウグスティヌスだったと記憶しています。この言葉を教わった小学生の頃、「でも悪魔がいるということは、神様がなんでもできるってわけじゃないことを示していると思います」と先生に質問したところ、なぜか思いっきり太ももを叩かれたのを思い出します。

仮に神様を全能な存在だと仮定しても、そもそも全能者というものが存在可能なのかという第二の疑問にぶつかります。

この疑問は全能の逆説という思考問題で端的に示されています。
代表的なところでは、
全能者は”重すぎて何者にも持ち上げられない石”を作ることができるか
という形で知られる問題です。

絶対に持ち上げられない石を作ったとしたら、全能者の全能性は失われてしまいます。
逆に作れないとすると、やはり全能者はその非全能性を示すことになってしまいます。

全能の逆説に対する回答としては以下の議論が有名です。
(1)全能者は石を作る前の時点で、「全てを為す無限の力(unlimited power to act)」を持っている
(2)それゆえ全能者は絶対に持ち上げられない石を作ることが出来る
(3)石を作った後は全能者の持つ第二の全能性「あるものが何かを為す際に必要な力を決定する無限の能力(unlimited power to determine what powers to act things shall have)」が全能者の全能性を保つ
(4)よって全能者の全能性は損なわれない
(原文を訳す際の管理人の苦労を想像しながらお読み下さい)

第一段階は「物理的な力」、第二段階は一定の力で為すことのできる範囲を変更することが出来るという「法則に対する力」という意味での全能性です。
全能性を「いかなる論理的な枠組みにも束縛されることがない力」と捉えれば逆説の存在自体を粉砕することが出来ます。逆に上の回答のように全能者であれ論理の枠組み内の存在であると捉えると、結局その存在の自由意志を制限することになります。
参照:抜き打ちテストのパラドックス

そもそも、以下の自由研究で挙げるような理由から、真の全能者にとって作為と不作為の間に本質的な差はありません(当然といえば当然)。世界に全能者の意思が反映されないことはないのです。「働きかけ」によって世界とつながる人間とは、根本的に異なった次元の存在だといえるでしょう。
このように、人間と同じ枠組み内で全能者の存在を認める余地は限りなく少ないように思われます。少なくとも、神様は私達と同じ次元には存在しない。


~~以下自由研究~~


全能性云々すると話がややこしくなることがわかりました。なのでもっとわかりやすい経済学的な方法で、神様が実際にどこにいるのか考えてみたいと思います。

経済学の基本は、「すべてのものは希少性を持つ→それゆえ何かをするにはコストがかかる」ということです。全能とはそのまま全てを為す力なので、全能者にとっては「何かをする際にかかるコストが全ての場合において0」ということになります。
参照:経済学的思考 3

ここでいうコストとは時間と労力(手間ひま)のことです。
つまり全能者が何かを為すにあたっては、一毫の時間も消費も必要ないということです。時間を0としたのは、少しでも時間が必要なのであればそこに機会費用(その時間を別のことに使った場合に得られる便益)が発生するためです。
つまり、全能者にとっては何かを為すことと為さないことの間に本質的な差はないのです。

以上のような考察に基づいて全能者の活動を考えると、彼の人の行動は常に「0か1」の値をとることがわかります。0の状態から何の過程も時間も経ずに1の状態を作り出すことが出来るのです。

ここで、全能者の行動の供給曲線(S)は「X軸:数量0~無限、Y軸:価格0」というグラフを描くことがわかります。一方の需要曲線(D)はX軸に漸近するので、需要曲線と供給曲線は最終的には平行になります。
そして、全能者が何らかの行動を取るということはDとSが交わるということを表しています(全能だから行動を決定することが出来る)。平行な二直線が交わる点が神様の選択なのです。

ユークリッド幾何学の世界では平行な二直線は交わりません。なので、この世界では非ユークリッド幾何学が真理であり、世界の曲率は0でないことがわかりました。神様のおかげで宇宙物理学の長年に亘る難問が無事解決されました。感慨深いです。

非ユークリッド幾何学において平行線は無限遠点で交わります。

一般相対性理論
∴  神様の行動はここらへん↑


確か平行線の交点を求める式があったような気がしたのですが、私の脳ミソの中にはその欠片も残っていませんでした。ご存知の方がいらっしゃったら、「出来るだけわかりやすく」教えていただけると幸いです。

…頼みごとしてるのに条件つけるなんて傲慢?
いえいえ、これは経済学で言うところの分業の利益の追求というものですよ。


たまにはこんなお遊びも大切なのです。
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