「ラマヌジャンの『発見』と擬テータ関数」今日は数学史上最も異質な天才とされるインドの魔術師・
シュリニバーサ=ラマヌジャンのお話です。
「アインシュタインがいなくても相対性理論は発見されていただろうが、ラマヌジャンがいなければ彼の公式の大半は今でも見つかっていなかっただろう」
こうまで評される彼の業績は最近になってようやく理解されるようになって来ました。時代が少しずつ天才に追いついてきたのです。
今日はラマヌジャンが発見される過程と、現代物理学の最先端分野の1つ、
大統一理論(=自然界に存在する力を統一して記述する万物の理論)への道を開いたとも言われる「擬テータ関数」に関する話をあわせてご紹介したいと思います。
1887年、ラマヌジャンは南インドの貧しい家庭に生まれました。
敬虔なヒンドゥー教徒である母親の下で育った彼は、非常に繊細で信心深い少年として成長します。その「頑固でエキセントリックな性格」は折り紙つきで、生まれて3年間以上一言も話さなかったり、学校でも数学以外の教科はまともに学ばなかったりと、いわゆる普通ではない雰囲気をまとっていたといいます。
Srinivasa Aiyangar Ramanujan

そんなラマヌジャンの人生を決定付けたのが、15歳の時に出会った「数学基礎要覧」という本です。この
初等数学に関する本だけを頼りに、彼はほとんど独学で数学を習得。持っているノートに「夢に出てきた」公式を書き留めていきました。
研究に没頭するあまりまともな収入を得られないラマヌジャンでしたが、なんとか地元の港湾局に職を探し当てます。そこでは上司の理解に恵まれてさらに研究を積み重ねます。
しかし、当時のインドの数学界ではラマヌジャンの研究成果を理解することができませんでした。そこで1913年、彼はイギリスの3人の著名な大数学者宛てに自分の研究を載せた手紙を送ります。
大学にも行っていないインドの田舎事務員が、やたらめったら数式を書き込んだ手紙をよこした ― 3人のうちの2人は当然その手紙を無視しました。
しかし残りの1人、
ゴッドフレイ=ハロルド=ハーディは違いました。彼は何の気もなくただ書き並べられた数式に目を留めただけでなく、さらにありえないことに、その検証を行ってみる気になったのです。
(ハーディが大好きなクリケットの試合結果を載せた新聞ではなく、全く面識のないインドの青年からの手紙を読んでみる気になった時点で既に奇跡的な出来事だったのです)
一週間後、ハーディとその友人の数学者・リトルウッドは1つの結論に達します。
「これは本物の天才だ」、と。
ラマヌジャンの才能が見つけ出される物語だけでも十分奇跡と呼ぶにふさわしい偶然の連鎖でした。しかしハーディとともに行ったラマヌジャンの研究成果は、さらに驚異的なものでした。
続きます
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インドの魔術師 2