
当然12500:2500だと思ったんだが、正解率1%って・・・。
「一人で行っても10000円もらえる」という前提を忘れてるとしか思えない。
そのアンケート、大阪でやったら正解率上がるかもね。

自分10000円、友達5000円でした。それでもちょっとズルいのかなと思ってしまいました(笑)←大阪人なのに


>みーさん
ばれた時のことを考えんかぃ!!
って私は思いました

友達がその答えだと普通に凹みます 笑
>Rion君
まぁ本来の意味での「正解」ではないんだが、労働の対価って意味では正しいと思う。
少なくとも自分が損する分け方はないでしょ、、、と思ってたら一番多いんだよね。
現在大阪で試し中。
>ミッチョンさん
私の周りでも「やっぱり同額じゃないと後ろめたい」って意見の人が多かったですよ〜(「自分に15000円」の輩は別)
分け方どうこうよりも、ミッチョンさんが大阪人であることに反応しました 笑
>淳さん
ご訪問ありがとうございます


「正解でないからダメ」という話に落ち着かないのが経済学の世界です 笑
そこが面倒なところであり、面白いところでもあります。
日本独自の考え方、ってのは興味深いと思いました。
またよろしければ覗きにきてくださいね〜


自分の回答は
↓
アメリカでは「自分10000円、友人5000円」が最も多く50〜60%」です
特に深い意味はないけど
多分そうするだろうと思います
この件の分析はないの?

>俵-YA!!さん
ご指摘ありがとうございますv(。・ω・。)v自分の考え方はなにも書かないまま放置していました;
この問は「正解か不正解か」よりも、「経済学の考え方とはどんなものか」を少しでも感じてもらうためのものだと私は考えています。
アメリカと日本のデータしかないのですが、日本人の多くが経済学的に見ると「正しくない」分け方をしたことになります。理論を重視する欧米の社会科学とは違った、日本独特の感覚ではないでしょうか。
最近、「人は経済法則よりも感情で動くことが多い」と主張する行動経済学が注目を集めています。こんな簡単な問題ですが、少しでも経済学的思考法について興味を感じていただければ、と思って紹介しました。
でも意外と「10000と5000」が多いみたいですね〜。うーん。

平均費用と限界費用なんかの違いと似たようなところもある気がしますが…、私もやはり、生活感覚からすれば、追加の5,000円部分のみ自分と友人との配分を考えるのでなく、15,000円全体での二人の分け前を考えると思います。
というのも、なんだか気持ち悪いんですよね…。しっくりこないというか。教授のもとに足を運ぶという労力は自分も友人も同じなのに、なぜ自分の対価は10,000円で、友人の追加分は5,000円の評価なのか。実験の設定だから数字に特に意味はなく 追究するだけ無駄だけど、その差額の発生源となる自分の価値について自分の中で納得できる何か合理的な理由付け(例えば教授の手伝いに呼ばれていて、専門外の友人は働きが低いとか)が見出せなければ、自分の来訪対価のほうが高く設定されているのが落ち着かないんですよ。
自分が来れば10,000円、友人の追加でもさらに10,000円、というのなら、自分15,000円と友人5,000円に分けてもいいけど(それでも情報料ということで自分が12,000円か13,000円程ちょっと多めに取って、あとは友人に渡す気もする)、最初から友人の来訪価値には半額しか評価がされていなかったら、価格設定をしたのは教授だが自分もその値段付け(=自分の単価が高く、友人の追加分は低い)を受け入れてそういう場に友人を呼んだ以上、なんか相手を軽んじてるようで申し訳なくて、一人で来てもどのみち得られた10,000円が確保できるなら追加の5,000円は全部友人の取り分にさせてやるか、むしろ後ろめたさの裏返しで 心情的に自腹を切ってでも友人に5,000円よりちょっと多めに持たせてやるというのは心情的に解ります。
で、一人で来ても得られた10,000円を割り込むなら 逆に友人を連れて行くほうが損じゃないかという話ですが…、必ずしもそうではないと思います。
ほぼ不労所得として臨時収入を得た大学生は、そのお金を何に使うか。この実験ではその後の使い道までは問題にしていないけれど、日本人学生で「一緒に使う」という答えがわりかし多かったところを見ると、最初から どうせ降って湧いた臨時収入ならこの実験後は親しい仲間で「パーッと飲み食いする」「一緒にカラオケに行く」などの使い方を想定していた人も結構いたんじゃないでしょうか。
「私」と「友人」を別個の財布として分けて考えるから非合理に見えるのであって、親しい仲間同士を「私たち」で一まとまりに考えれば、一人で行くより二人のほうがもちろん「私たち」にとっての収入は増えるし、臨時収入の大部分を仲間内で使うつもりなら、「私たち」の内部配分に過ぎないとりあえずの金銭の所属比率はあまり重要ではなく、それだったら仲良く半分分けして半分ずつ支払ったという形にしておくのが無難ということにもなるでしょう。

あとこれ、一人で来ていたらもらえたであろう10,000円というのは、その条件を聞いている選択段階では 所詮未だ自分の手元には届いていない 予定外の降って湧いた臨終収入で、もらえなくても別に得はしそこねるけど自分が損するわけじゃないお金であって、同じ金額条件でも、例えば「明日私の研究室に来たら10,000円あげよう」と言われて訪問し、お金を貰った後「さらに明日、君の友達一人がここへ来るようにしてくれたら、追加で5,000円あげよう」という展開になった場合とでは、回答がかなり違ってくると思います。いくら日本人学生が 気がよくて人間関係重視だとしも、いったん自分の手中に入って己の財産と認識した物なら、そうそう友人でも渡さないと思います。

>ユマさん
>私もやはり、生活感覚からすれば、追加の5,000円部分のみ自分と友人との配分を考えるのでなく、15,000円全体での二人の分け前を考えると思います。
私も一般的な感覚というのは非常に大事だと思います。労働に対する追加的な費用という意味での限界費用を考えた場合、12500:2500が正しいと缶上げられます。しかし経済学的に正しいことが世間で広く通じるかというとそうもいかないわけで・・・他の人からひんしゅくを買うようなわけ方をすれば、多くえられる金額以上の損失を被るのは免れないので。
ユマさんがおっしゃるように、なにかこう自分が友人よりも多くもらえるような合理的な理由があれば、自分が多くもらうことに対する抵抗が減りそうですね。ただ、日本の学生の間で最も多く見られた『自分が損をするような分け方(経済学的には間違っているとされてしまうようなわけ方)』でも、それは偽善や善意の押し付けでは説明できない何かを計算に入れた結果、導き出された答えだと思っています。もしかしたら、金額では推し量れない『人間関係の価値』というものを計りにかけようとするため、私達の中で葛藤が生まれるのかもしれません。
どちらにしろ、こんな方法で手に入れたお金なんてのは手元に残らないものなので、経済学で人気の乗数効果とやらを考えて、ぱーっと使ってしまうのが日本のためにもなるのでしょうね。精神衛生上もそのほうがよさそうです。