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有名な彫刻、というと何が思い浮かびますか?

ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、ネフェルティティの胸像...etc
世界には素晴らしい芸術作品がたくさんあります。

中でも、「ダヴィデ像」と「考える人」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

前者はミケランジェロ、後者はロダンの作品です。
日本人の彫刻に対するイメージの源泉はこの2人にある、といわれるほど後世に多大な影響を残した人物です。今日はこのうちロダンについてお話したいと思います。

フランスワ・オーギュスト・ロダンは「近代彫刻の父」と呼ばれています。代表作は「地獄の門」(とその一部を構成する「考える人」)、「カレーの市民のモニュメント」などです。

彼の能力を示すエピソードとして、彫刻「青銅時代」にまつわる話があります。
この作品は1875年に発表されたオーギュスト・ネイトという若い兵士をモデルにした等身大の像で、ミケランジェロの作品の影響を受けて作られました。しかしそのあまりの緻密さとリアルな造形のため、「実際の人間から型を取って作ったのでは」という誤解を受け、非難されました。
腹を立てたロダンは2年後にわざわざ人間よりもかなり大きなサイズの人型彫刻を作製します。こうしてロダンは誤解を解き、彼の名前はフランス中に広まることになりました。
「青銅時代 The Age of Bronze」


ロダンとその作品に関する話として重要なのが、「地獄の門」の製作過程とカミーユとの生活です。

1880年、ロダンのもとに国立美術館のモニュメント製作依頼が届きます。そのテーマとしてロダンが選んだのが、ダンテの「神曲」地獄篇に登場する「地獄の門」でした。

地獄篇第3歌にはこの門に刻まれている有名な銘文が登場します。

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」

地獄の入り口にふさわしい、人間の深い絶望を表しています。

この大作にとりかかるにあたって、ロダンは数多くのデッサンを重ねます。しかし中々構想をまとめられないままでいました。

製作の苦悩が続く中、1882年にロダンの下に弟子としてカミーユ・クローデルが入門します。ロダンは彼女の才能と魅力に取り付かれ、妻に当たる女性(正確には事実婚)がいるにもかかわらず、カミーユを愛するようになります。このときロダン42歳、カミーユ18歳です。

しかしカミーユとの関係もやがて破局を迎えます。
当時は女性が芸術家として評価されることは少なく、世の中に認められていくロダンに対してカミーユは憎しみにも似た感情を抱くようになります。何よりもロダン自身が優柔不断で、最終的にはカミーユを捨てて妻ローズのもとに帰っていきます。

続き
>>考える人 2

参照:カミーユの彫刻に関する技術はロダン以上だったとされています。
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